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主治医と話す

金曜日、朝から実家に行くつもりで仕事を休みました。3月までに消化すべきお休みがあと4日残っていたので、別にかまわなかったのですが、さあ家を出ようかと思った8時過ぎに母から電話。

「今日、来てくれるの?今調子がいいから、別に無理せんでもいいよ」

「仕事、もう休んだし、いいよ。それに新しい主治医の先生とちょっと話したいし」

「来てくれたら嬉しいけど、お医者さん来はるの、午後からやと思うよ。ゆっくり来てくれたらいいから」

おそらく早く来られても間が持たないと思ってるんだろう。

それに私の分の昼食のことも気にしているのかもしれない。

「サービスエリアで柿の葉寿司と鯖寿司買っていこうか?」というと、案の定

「ああ、それは嬉しいわ。いいの?」と乗ってきました。

私はどうしても説教じみたものの言い方をしてしまうので、母にとっては煙たい存在。

でも、お気に入りのお寿司には勝てなかったんでしょうね(笑)

妹に電話をしてもらい、寝る前のセロクエル2錠の許可を得たので飲ませたら、昨夜は朝まで眠れたらしいです。

電話の声も、昔の母と同じ。張りのある大きな声。調子の悪い時はろれつも回らず、小さな声しか出ません。

高速のサービスエリアで約束のお寿司を買って、車を飛ばしている時、父から電話。

「先生が今日は今から来るって言ってはるけど、今どこや?もう着きそうか?」

「まだしばらくは無理。一応先生あてのお手紙を書いてきたから、それを後で病院に持って行くから。大丈夫よ」

二人ともとにかくちょっとしたことでパニックになるので、この「大丈夫」という言葉は大切。

でも本当はちょっと焦りました。

何としても今日は主治医とお話しして、なんとか処方を一部変えてもらわなければと思っていましたから。

急いで実家に到着すると、まだ先生がおられました。

良かった~。

先生は母のベッドに座って、お薬について丁寧に説明してくださっているようでした。

母はまたいつもの調子の悪い時の状態に。

おそらくは緊張と、難しい話をされたことによる動揺が引き金になっているのでしょう。

先生に処方を変えてからの母の症状を話しました。もちろん、母の精神面や気温や気圧も関係していることも。

ただ、寝る前のセロクエルはなくさないでほしいこと。

リリカはできればやめないでほしいこと。やめるにしても、1錠ずつ減らしてほしいこと。(前日の不安があまりにも強く、一時たりとも妹が離れるのをいやがったことも伝えました)

3月半ばまでは妹の仕事の関係で休みが取れないので、可能なら大幅な減薬は3月半ば以降にしてほしいことを伝えました。

先生からは、セロクエルはむしろ増やしたいと考えているとのこと。就寝前2錠は見落としだったとのこと。あわてておられました。

また、リリカはサインバルタと作用がかぶっているため、なくそうと思っていたと。

それならば、リリカを飲み始めてからいい傾向が見られるので、サインバルタよりもリリカを優先してもらえないかとお願いしてみました。

先生は誠実な態度で「もう一度全体を見直してみます。セロクエルの寝る前の分と、リリカは追加処方をします」と言ってくださいました。

初めてお話しした先生でしたが、いろいろ考えてくださった上での変更だというのはわかったし、こちらの話も嫌がらず聞いてくださったこと、自分のミスを認め、柔軟に対応してくださったことを嬉しく思いました。

母も丁寧に対応してくださる先生の様子を見て「いい先生やね。安心したわ」と喜んでいました。

医師と看護師さんが帰られて、お寿司を食べているころから、また調子が戻ってきました。

まだすっきりという感じではなかったので、全身のマッサージや足裏のつぼ押しなどをしていると「ああ、気持ちいいわ。ありがとう。お母さんはあんたらがおらんかったら、もう死んでるわ」なんて言っていました。

身体がずいぶんほぐれて、いろいろな雑談が飛び出したころ、父の訪問看護師さんが到着。

「お風呂の水入れるの忘れとったわ。」

と言ったかと思うとトイレに。

トイレから出たとたん、また調子が悪くなりました。

父をお風呂に入れてくださるのに、事前にお風呂に水を入れてなかった、という動揺で、とたんに調子が悪くなるのです。

そのうち、夕食のヘルパーさんが来られて、看護師さんが入れ違いに帰られても調子の悪さは継続。

母がいうには、あれだけ妹が離れると大騒ぎをしていたのに「○○(妹)が帰った頃から急に調子が良くなってね。」と、「父以外の誰もいないほうが調子がいい」という感じ。

確かに母は家に人が来るのは好きではないし、必要以上に気を使うから、それが精神的に良くないのだと思います。

かといって、ヘルパーさんや往診のお医者さんや、看護師さんが来てくださらないと今の生活は成り立たない。

なかなか難しいところです。

何はともあれ、処方を変えてもらえて良かったです。
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急激な悪化

案の定、昨日以来母の症状は急激に悪化してしまいました。

ただ、この要因が処方の変化のみであるとは思いません。

やはりこの寒さ。そして処方が大きく変わることへの不安な精神状態も大きく関係しているでしょう。

それは、処方が変化する前からすでに痛みを訴えていたことでもわかります。

もちろん、この処方の変化への危惧は、こういう母ですから、本人の前では悟られないように努力したつもりです。

それでも何となく伝わってしまったのかもしれません。

このあたりがレビー患者の鋭いところです。

短期記憶が落ちても、周囲の会話の中に自分に関することが無いかなどに聞き耳をたてており、それはそれはよくわかっています。

少しでも否定的なニュアンスが感じられると、不穏につながります。

往診の時間帯は、妹も実習中、私も仕事の日で、先生と看護師さんのみで来られます。

自分の症状を上手く伝えるのはできません。客観視や相対的な見方ができないので「毎日痛い。日に日に痛くなっている」と訴えます。

一番ひどい時は全く一歩も動けず、尿や便もリハパンの中で立ったまま。

脂汗をかいて、言葉を発することもできませんでした。

しかし最近は「今までで最高に痛い。」と言いつつも、「ヘルパーさんにお茶出したげて」「お父さん、そろそろお風呂の準備したほうがいいんちゃうの」なんて、指示もできました。

便がすべて出ると「正気に戻った」ようになるのですが、最近それがスムーズになっていました。

しかし、昨日の母は以前の最悪だった時の症状に戻ってしまいました。

そして半年振りくらいの明け方の父からの電話。

覚悟はしていたけど「きたか・・・」という感じ。

「お母さんがお別れ言いたいって。聞いたって」

父も毎度のことなのにまたオロオロ、ハアハアしています。

電話を代わると

「みずきちゃん、いろいろありがとうな。M(私の夫)さんにもよろしく」

しっかりした声で話しています。

結局近所の妹が呼び出され、便がほどなくして出てからは落ち着いているそうです。

父の前立腺の病院行きもキャンセル。

妹はヘルパー実習があるので私が仕事を休んで行こうかと言うと、妹にいてほしい、と。

ハイハイ・・・。昔からの妹びいき。今さら傷つきもしません。

認知が落ちたら真っ先に「あんた誰?」と言われることも覚悟していますよ

で、結局妹は実習をキャンセル。

でも、こういうことを続けるわけにもいきません。

ヘルパーの制度もこの3月までに資格をとりきれないと、何か変更になるらしいし・・・。

この処方をしてくれた新しい先生に、何ていったら機嫌を損ねず、処方をもどしてもらえるだろうか・・・。

考えた挙句、ワードでこれまでの薬に関する経緯をまとめ、後半に「お願い」を書いたものを実家にファックスしました。

前医(コウノメソッド実践医のT医師)もこの処方については「多すぎる」と感じていた。そのため、何度も減薬を試みたけれど、焦燥感が増したり、痛みがおさまらなかったり、震せんが激しくなったり、夜眠れなかったり、1時・2時に目が覚めて父を起こしたり・・・と・・・。

結局今の処方に戻ってきたのでした。

もう少し調子がいい日が続けば、またチャレンジしようと思っていたのです。

しかし、薬を減らせると思えるほど容態は安定せず。

ですから、もう少し暖かくなって、妹のヘルパー実習が終わるまで、減薬を待っていただけないか、という内容です。

本人の辛さももちろんですし、周囲も振り回されてヘトヘトです。

特に父は母の症状が悪くなると、覿面に悪化します。

シングルマザーの妹も、働かなければやっていけません。

先生が気を悪くされずに、減薬を待ってくださればと願っています。

今は落ち着いているようですが、明日、妹はどうしても実習を休めないので、私に来てもらってほしいと。

一応有給はまだ残っていますので、休みを取って実家に行こうと思っています。



急激な減薬

先日も書きましたが、今日から母の新しいお薬の処方が開始されました。

これまでは先生と現在の状況と考えられる問題点を話し合い、熟慮を重ねて一種類の薬を一錠ずつ減らすのがやっとでしたが、今回の場合は4種の薬が一度に減らされ、2種の薬の飲む時間と飲み方が変更されました。

最近は比較的調子よく、妹への夜間呼び出し要請もなくなっていたのに、早速今日から痛み全開。全くおさまりません。また以前の母に逆戻りです。

妹が今日はたまたまヘルパー実習が休みだったので、対応してくれたのですが、これから毎日のようにどちらかが家にいく必要が出てきそうです。

何とか仕事を振り替えて・・・とは思いますが、発達障害の息子たちが、学年末考査を迎えるこの時期、私が家にいないと勉強が全く進みません。

介護と発達障害の息子たちの子育て、仕事との両立はかなりきついです。

母のしんどさはもちろん、介護者の負担も増大する、薬の変更はやめてほしい、と正直思います。

今日たまたま指示書のことで電話をしてこられた訪問看護師さんにこのことをお話ししたら、ひどくびっくりされていました。

母がもともと精神的にも非常に不安定なこと、薬の増減に非常に敏感であることもご存知なので、「それはちょっと・・・大きすぎる変更ですね。」と。

特に飲み始めて効いている実感が本人と周囲にあった「リリカ」がゼロにされたのは何とも理解できません。

病院は近いのですが、先生方は往診でお忙しく、もちろん、母のことで先生方のお手を煩わせるのは本意ではありません。

しかし、根拠などが全くこちらに伝えられていない中での大幅な薬の変更は、今までの実践医の先生と違いすぎて、こちらに主治医を変更したことに不安を覚えます。

とはいえ、これから何とかこの先生にも母のことをお伝えしながら、うまくやっていかねばならないのです。

今までが恵まれすぎていたのかもしれません。

往診のときは、とにかくお忙しそうで、ほとんど話す時間はないとのこと。

妹の伝え方も少々大人しすぎたのかもしれません。(私はズケズケいうようにしていますので)

また、患者の家族が薬についていろいろクレームや注文を出す、ということ自体が一般的ではないのかもしれませんね。

でも、母を守るためにも、医師に嫌われても、自分がいろいろと伝えていかねばならないと、今回のことで痛感しました。

お忙しくて話す時間がないとのことでしたら、お手紙を書いてでも、慎重な減薬をお願いしたいと思います。

ほっとしました~

今日は父の多発性骨髄腫の検査結果を聞きに行ってきました。

先週の火曜・木曜と私と妹が付き添って行った精密検査。

でも、その前にすでに血液の精密検査をした上で、主治医から骨髄穿刺をと言われていたので、もうほぼ間違いないものだと思っていました。

火曜日に父の前で、入院治療にするか、通院治療にするかまで尋ねられていたものですから。

父もそのように捉えていたようで、今日の結果はある程度悪いものだと覚悟していたようです。

私の家族における役割は「決して何事にも動じず、情報を得て、対外的に対応する」というもの。

今日の結果は私一人で聴きに行き、診断が確定すれば今後の治療方針と役割分担などを両親に話すつもりでした。

わかりやすく、かつ正確で、できるだけ希望的な話をしたかったので、最新の情報を得ようと「日本骨髄腫患者の会」の情報誌まで取り寄せました。

この情報誌「がんばりまっしょい」は本当に素晴らしい内容でした。

情報量が驚くほど多く、それがまた最新のものであり、非常に分かりやすいのです。

患者さんのお話や、事務局の方々からの寄稿など、どれも温かさと力強さに満ちていて、不安な心がいっぺんに救われました。

実際の検査結果は・・・「今のデータからはお父さんは多発性骨髄腫と診断することはない」とのことでした。

私の中では95%以上癌宣告をされると思っていたので、信じられない気持ちでした。

まず最初にレントゲン画像を見せられましたが、そこには骨髄腫特有の丸く打ち抜かれたような個所は見られませんでした。

また骨髄液の中の形質細胞は2%程度でしたし、タンパク分画検査でもMタンパク特有の鋭いトンガリは見られませんでした。

しかし、免疫電気永動検査ではMタンパクが認められています。また、抗体の値はIgG,IgA,IgMとも正常範囲内ですが、IgGは正常値の最高値に少し近いです。

そういう意味から、主治医からは「今は診断できるデータは出ていないが、将来的に骨髄腫になる可能性がないとはいえない」とのお話がありました。

これからは2か月に一度、血液検査を行い、経過観察していくとのことでした。

もちろんそれは願ってもないことです。私が動ける火曜日をお願いし、4月下旬に予約を入れました。

それにしても本当に嬉しかったです。

父にもすぐに電話しました。心からほっとして、喜んでいました。

妹はヘルパー実習中でしたが、メールは入れておきました。実習終了後すぐに電話をくれましたが、やはりほっとしていました。妹は特に父親っ子でしたから、思いはひとしおだったでしょう。

母は今日も少し認知面でぼんやりしていて、今日私が病院に行く理由がはっきりつかめていないようでした。

「お母さんの保険証はいらんの?」なんて言ってましたから

ただ、帰ってから「実はこういう病気が疑われていたけれど、それではなかった」という説明をしたら、やっと事態がつかめたようです。

明日から薬が変更になるのですが、このあたりの認知状態がどうなっていくか・・・。

夜眠れるのか。痛みについてはどうか。実習で毎日ヘトヘトの妹を夜中や明け方に呼び出すことにつながらないか・・・

一難去ってまた・・・という感じですが、うまく減薬が進むよう、私もできるかぎりのことをしようと思っています。

薬の調整

母の症状は少し落ち着いてきているとのこと。
しかし、母の新しい主治医の先生の処方箋を見てびっくり。

明後日からの変更内容が少し激しすぎです。

レキップ2mg錠 朝1昼1夕1→朝1夕1
ネオドパストンL100 朝2昼1夕1→朝1昼1夕1
トラムセット(痛み止め)朝1昼1夕1就寝前1→朝2夕2
ツムラ抑肝散 朝1夕1 変更なし
サインバルタ20mg 朝1→夕1
セロクエル25mg 朝1昼1夕1就寝前3→朝1昼1夕1
マグラックス500mg 朝1昼1夕1 変更なし
リリカ75mg 朝1 夕1 処方なし

確かに薬の種類も量も多すぎます。
以前の主治医もずっと「多いですね。減らしたいですね」とおっしゃっていました。

特にレキップは主治医も私も一番減らしたい薬でした。

しかし、以前減らすと、体中が震えて止まらないという訴えがあり、やむなくもとに戻したのでした。

ただ、今は痛みの訴えが主で、震えやパーキンソン症状はそれほど気になっていないので、ネオドパストンとともに減らすのは賛成です。

セロクエルは腸の中に害虫のようなものがいるという妄想がひどかった時期にここまで増やしました。
現在はこの妄想はほぼおさまっているので、夜の分から減らそうとすると、2時3時に目が覚めるので、介護する父の睡眠時間を守るためにもなかなか減らせなかったのでした。

就寝前の3錠を一気にゼロにするのは、少々心配です。
その分、サインバルタを夕に持って行って下さっているのでしょう。

これがうまくいって、夜中起きなければ嬉しいのですが・・・。

トラムセットは1日4回に分けていたものを2回に。これがどう働くか。

ここまででも変更点がこれまでと比較すると大きくて、相当緊張モノなんです。

これまでも減薬には挑戦しましたが、せいぜい1つの薬を1錠減らす程度。

これだけ何種類もの薬の量や飲み方を変更するのは初めてのこと。

何より一番大きい変更点は、年末からスタートし、現在75mgにしたリリカがゼロに。

最近の母の穏やかさ、便の出の良さ、痛みの軽減が、このリリカのおかげと思っていたので、正直なぜなのか理解できません。

私は直接新しい主治医と話していませんが、妹はリリカにしてからの良い変化を伝えているそうです。

以前の主治医も「トラムセットはリリカがどうしても使えない人に使うもの。リリカは効けばトラムセットが減らせる」とおっしゃっていました。

明後日からこの新しい処方になりますが、正直不安でいっぱいです。

幸い病院が両親のマンションから1分ほどの場所にあり、対応はしてもらえると思いますが・・・。

何かお考えがあっての変更だとは思いつつ、あまりにも急な処方の変更にとまどっています。

明日は父の多発性骨髄腫の検査結果をききに行く日。

結果はその日のうちに両親に伝えるつもりです。

母がパニックを起こさないか、その後症状がどうなるか。

私の伝え方にもかかっていると思いますので、頑張ります。
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みずき

Author:みずき
高3・高1の息子を持つ、ワーキングマザーです。
レビー小体型認知症と診断された離れて暮らす両親を妹とともに見守っています。
両親は現在実家の近くのグループホームで暮らしています。

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